書き込みごと、故郷に送った——遅筆堂文庫
作家・井上ひさしは、自分の蔵書を「必要な本だけ選ぶ」という条件での引き取りを断り、雑本も付箋も書き込みも丸ごと、故郷の山形県川西町に送った。約7万冊から始まった文庫は、いま約22万点。作家の頭の中を棚ごと歩ける、日本でも珍しい図書館だ。

※画像はAIによるイメージです。実際とは異なります。
Phase 5 #3は山形県川西町の遅筆堂文庫。
剣淵は絵本に、紫波は農業にこだわった図書館だった。今回はもっと極端で、一人の作家の本棚にこだわった図書館である。
「必要な本だけ」を断った作家
遅筆堂文庫の本は、すべて一人の人間が集めたものだ。『ひょっこりひょうたん島』『吉里吉里人』『父と暮せば』の作家・劇作家、井上ひさしである。
1986年、井上ひさしは千葉県市川市の自宅を離れることになり、膨大な蔵書の行き先を考えなければならなくなった。いくつかの自治体や大学から引き取りの申し出はあった。だが条件は「必要な本だけを選んで受け入れる」。井上はこれに反発し、交渉は決裂する。彼は、いわゆる雑本も含めて、蔵書はまとめて残すべきものだと考えていた。
ちょうどその頃、井上の故郷・山形県川西町では、地元の有志が「井上さんの本の一部を引き取って、小さな図書館を作れないか」という企画書を練っていた。それを読んだ井上から返ってきたのは、「蔵書を全部寄贈するから、図書館を作ってほしい」という申し出だった。町長はこれを受け入れた。
4万冊のはずが、7万冊
1987年2月、有志たちが市川の井上宅へ最初の本の運び出しに向かった。
着いてみると、書庫のレールが本の重みで歪んでいた。2泊3日かけて部屋ごとに箱詰めし、家の前の道が狭いので、2トントラックで運び出してから11トントラックへ積み替える。3月、4月と運搬は続き、空にしたはずの書架に、なぜかまた本が詰まっていたこともあったという。
当初の見込みは約4万冊。最終的には約7万冊になった。
町は農村環境改善センターの2階を図書館にすることを決め、3月末から整理が始まった。分類には一般的な図書館の分類法(NDC)ではなく、件名による分類が採られた。そして井上の意向で、本にはラベルを貼らず、函やカバーもそのまま残された。
1987年8月15日、遅筆堂文庫は開館する。開館日には、井上自筆の「遅筆堂文庫堂則」が届けられた。そこには、この文庫が置賜盆地の中心にあり、その盆地は地球の中心にある、と書かれていた。
「遅筆堂」という名前
「遅筆堂」は、井上ひさしの屋号だ。
彼は締め切りを守らないことで有名だった。芝居の台本が初日に間に合わず、公演が延期になったことさえある。「遅筆堂」は、その自分への自嘲から付けた名前である。
ただ、遅筆の裏には、遅れてもいいから納得のいくものを書きたいという思いがあった。そして納得のいくものを書くために、彼は本を読み、調べ、また読んだ。文庫の立ち上げにかかわった地元の人は、「遅筆の背景には、無数の本がある」と見ている。
この文庫は、その「無数の本」そのものだ。
付箋と書き込みが、そのまま残っている
遅筆堂文庫のいちばんの特徴は、ここにある。
本の多くに、井上ひさしの付箋や書き込みがそのまま残っている。大作『吉里吉里人』の参考資料には、執筆時の書き込みが見つかる。作家がどこに線を引き、どこで立ち止まり、何を書き足したのか。完成した作品からは見えない「書く前の頭の中」が、棚に並んでいる。
蔵書の特色は、言語・辞書類、江戸文学、忠臣蔵、宮沢賢治の関連資料など。演劇と農業の棚も厚い。こうした書き込みのある本や貴重書は研究室や閉架書庫に収められ、一部は館内閲覧のみになっている。
その後も井上からの寄贈は続き、いまは約22万点。2010年に井上ひさしが亡くなると、文庫内に井上ひさし展示室が開設された。
劇場と図書館と文庫と
1994年、遅筆堂文庫は新しく完成した「川西町フレンドリープラザ」の図書館1階に移った。
フレンドリープラザは、劇場、川西町立図書館、遅筆堂文庫の三つが一つになった文化複合施設だ。劇作家の蔵書が、劇場と同じ建物に収まっている。これ以上ふさわしい置き場所はないだろう。
文庫の本は、川西町立図書館の利用規則に準じて扱われる。町の図書館の本と合わせて10冊まで、2週間借りられる(貸出できるのは、川西町在住・在勤・在学の人と、身分証明書を提示した置賜地域の人)。一部の本は館内閲覧のみ。研究目的で利用する場合は、事前に電話かお問い合わせフォームで連絡しておく必要がある。
生活者大学校
文庫の開館翌年、1988年に井上ひさしの提唱で始まったのが「生活者大学校」だ。
第1回のテーマは「農業講座」。その後も「地球と農業」「農民と芸能」「水と土の文化」と、農業と暮らしをテーマにした回が続いた。校長は井上ひさし。「地域の問題は、世界・地球全体の問題に通じる」という考えに立った講座で、いまも毎年開かれている。
前回の紫波町図書館が農業支援にこだわった図書館だったことを思うと、東北の二つの町で、本と農業がつながっているのは面白い。井上ひさしにとって農業は、演劇と並ぶ生涯の関心事だった。
文庫は本だけでなく、井上ひさしが集めた約1,000枚のミュージカルのレコードや、大量の雑誌も抱えている。2023年には、このシリーズで後に訪ねる予定の「大宅壮一文庫」の職員を招き、文庫の雑誌から時代を読むトークイベントも開かれた。一人の作家の蒐集が、いまも新しい企画を生み続けている。
設備とアクセス
開館時間は火〜土9:30〜19:00(12〜3月は18:00まで)、日曜・祝日9:30〜17:00。休館日は毎週月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始(12/29〜1/4)、図書整理期間。
場所はJR米坂線の羽前小松駅から徒歩約5分。車なら東北中央自動車道の米沢北ICから約15分、南陽高畠ICから約20分。フレンドリープラザには無料の駐車場があり、入館も無料だ。
館内では無料Wi-Fiが使えるが、利用者向けのコンセントはない。独立した自習室もなく、閲覧席は資料を読み、調べるための席だ。ここは作業をしに来る場所というより、作家の本棚の前で立ち止まりに来る場所だと思って訪ねたい。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 住所 | 山形県東置賜郡川西町大字上小松1037-1(川西町フレンドリープラザ内) |
| アクセス | JR米坂線「羽前小松駅」から徒歩約5分/東北中央道「米沢北IC」から約15分 |
| 開館時間 | 火〜土 9:30〜19:00(12〜3月は18:00まで)/日祝 9:30〜17:00 |
| 休館日 | 毎週月曜日(祝日の場合は開館)・祝日の翌日・年末年始(12/29〜1/4)・図書整理期間 |
| 蔵書 | 約22万点(井上ひさし寄贈。当初約7万冊) |
| 開館 | 1987年8月15日(1994年にフレンドリープラザへ移設) |
| 貸出 | 川西町立図書館の規則に準じる(町内在住・在勤・在学、置賜地域の人は身分証明書)。一部は館内閲覧のみ |
| 併設 | 劇場・川西町立図書館・井上ひさし展示室 |
| 入館料 | 無料 |
| Wi-Fi | あり(無料) |
| 電源 | なし |
| 学習室 | なし(閲覧席は資料閲覧・調査用) |
| 駐車場 | あり(無料) |
| 公式サイト | 遅筆堂文庫(川西町フレンドリープラザ) |
こんな人におすすめ
- 井上ひさしの作品が好きで、その「書く前の頭の中」をのぞいてみたい人
- 作家の付箋や書き込みが残った本を、実際に手に取ってみたい人
- 劇場と図書館と文庫が一つになった文化施設を体験したい人
- 米沢や置賜の温泉と組み合わせて、山形の本の旅をしたい人
- 「蔵書は丸ごと残すべきだ」という考えに、少しでもうなずける人
周辺スポット
川西ダリヤ園
川西町はダリアの町として知られ、ダリヤ園では夏から秋にかけて数百品種のダリアが咲きそろう。見頃は8月から10月ごろ。井上ひさしの本棚を歩いたあとに、色の洪水のような花畑へ。静と動の落差がいい。
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